日記・コラム・つぶやき

02/08/2020

阿弥陀来迎とレーザービーム

浄土寺浄土堂

国宝である。本の古建築の本には必ず載っている。

40年近く前、大学の古建築実習で訪れた。

その当時は「こんなところまで来て、何がいいのかわかんない。

お寺なのに屋根が反ってないし、垂木の先がツンツン白く塗ってなくて

鼻隠し板が付いてるし、シンプルなつくりが近代的なのかあ」ってところ。

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だったのが、これを読んで(見て)「はっ」と気付いた。

Photo_20200208101901日本の建築遺産12選

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お堂に夕陽(西日)が差し込むと、朱塗りの内部が黄金色に輝いて

仏像を包むとは言われていたが・・

Photo_20200208102401確かにそれはあるけど

ホントに効いてるのは

梁の下端に引かれた

眉(胡粉が塗られた白いライン)

じゃないか。

ちょうど阿弥陀様の廻りを

四方八方に飛び交うレーザービームに見える。

あるいはスターウォーズのライトセーバーみたいな発光体。

阿弥陀様来迎の場面はロックコンサートかクラブのホールか

とんでもない高揚・熱狂・絶頂空間。

仏像を見せるという空間演出がここまでだったとは・・

やっぱり重源おそるべし。

 

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09/18/2019

検証平成建築史

平成の三十年は早送りして、その終りに起こった

新国立競技場問題のドタバタの顛末の総括が見た

かったんだが。いわく、上から(誰なの?)の声

を忖度し、空気を読んで誰も責任を取らない体制

のままズルズル時間だけが過ぎて・・だなんて

・・結局は巨艦主義は時代遅れと分かっていな

がら戦艦大和建造を進めた帝国海軍の(決して

反省の弁ではない) 回顧録か。

Kenshou_

当時発信した「建築家諸氏へ」で始まる「内藤

文書」と言われる文章を載せてあるのは立派で

すが、当時一番違和感を感じた肝心な部分

途中略とは・・ そこには確か、ザハ様のご機嫌

を損ねてはならぬ、いい仕事をしてもらって、

新しい東京のアイコンになるデザインを実現さ

せ、それを起点にアジア諸都市のナンバーワン

になるように東京を大改造するくらいの気概を

持て・・みたいな勇ましい言説があったのです

が、今でも同じ考えですか?

いみじくも、反ザハ派の中心人物とされた

槙文彦さんが平成の真ん中あたりに「前川國男

 建築展」に寄せた文章

「今日、我々の都市に繰り広げられる絶え間

なきスクラップエンドビルド、不動産のトラス

ト化、ディヴェロッパーとCMが主役を演じる

世界、そして建築家という職能の限りなき

矮小化と拡散化、これらはすべて前川が彼の

建築愛によって目指した、あり得べき建築の

地平の対極にあることを示している。」

(「前川國男と現在」から引用原文ママです。

文中CMとはコンストラクションマネジメント

でしょうか) このCMを広告代理店プロデュース

と読み替えれば、そのまま今から令和の建築史を

すでに言い当てているようなものだ。

地霊(ゲニウスロキ)なんてもういない、住民

参加のまちづくりなんてもう知らん、

「今さえ、金さえ、自分さえ」

興味あるのは大阪万博・IRカジノ・リニア

新幹線・・・

そんなことに気付かせてもらった一冊。

 

 

 

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07/17/2019

知らない方がいいこと、知らなければよかったこと、知ってはいけないこと

Kuushuu

 

鑑定団について書いたら、思い出した。番組中に全国出張鑑定団があるけど、全国どんな町でも古いお宝がまだまだ出てくる。もし戦時中の空襲が無かったら、今の日本にどれだけのお宝が残っていたんだろうか。つまりは空襲でどれほどのお宝が燃やされてしまったのか・・

日本のお宝を奪った犯人を2人挙げる。

まず、この日本本土空襲作戦を指揮したカーティス・ルメイ。

このNHKスペシャルの本の中では、ルメイの孫がインタビューに答えていて、「祖父は誰かがやらねばならない任務を自分が誠実に引き受けたと言っていた」とか何とかってあったが、そんなソフトな記事でまとめなくてもよかんたんじゃないか。白人至上主義的な言動が多かったというのは他の資料からもはっきりしてるんだし。ルメイに戦後、日本から勲章を与えたって、意味が分からん。いろいろ資料をあたっても不快感だけが残る。

そしてもう一人がアントニン・レーモンド。

言わずと知れた日本のモダニズム建築の父。レーモンドがこの日本本土空襲というか日本焼き払い作戦に加担していたという事実。これも、早く戦争を終わらせるために苦渋の思い云々という言い訳が流布しているようだが、そもそも亡命先アメリカのスパイだったということまで分かってしまった以上、伝記は書き換えられなければならないのではないか。日本の木造家屋密集地での火災の広がり方、如何に効率的に焼き尽くすか、焼夷弾の性能実験、戦時中の石油会社の思惑、戦後の石油メジャーとの繋がり・・・レーモンドの黒歴史を知ったのは、いつだったかな、すごいショックだったけど。

昔のことなど蒸し返さない方がいいのか、ただ「令和は本当のことがあからさまになる時代」って誰かが言ってたのは本当かもしれん。

ジャニー喜多川の訃報に際して、マスコミはこぞって日本のエンタメ界の父だなどと持ち上げて嵐だSMAPだは出るけど、我々昭和の人間はジャニーズといったらフォーリーブスだろうが、フォの字も出ない。そりゃーフォーリーブス解散後にあったジャニーの少年偏愛スキャンダル暴露のイメージが消えないもんね。そんな黒歴史はシートで覆って無かったことに・・

Kokusho

黒歴史でもうひとつ。

1995年ラグビーW杯で日本がオールブラックスに145点取られて負けた(17-145)こと。特にラグビーファンでもなければ、そんなこともあったかなという程度。だいいち25年近く前の話だ。今年のW杯日本大会を前に、前回の南アフリカ戦の大逆転勝利に続けとこちらもアゲアゲ報道一色だけど。

これも最近知ったこと。

この時の日本代表チームは無能な監督の元、メンバーはバラバラ、主力は大会期間中カジノと飲み会三昧だったという事実。はっきり書こう、当時の日本ラグビーの改革者で救世主と持ち上げられていた平尾誠二とその手下でしょう。(このラグビー黒書にはズバズバ書いてあります)今年になって、日本大会直前ということで、1995年の出場選手だった吉田義人へのインタビュー記事が挙がっていて

https://hochi.news/articles/20190527-OHT1T50244.html

1995年の反省からの長い日本ラグビーの道のりみたいな言い回しがあったので、ふと気になりググってみたらこういうことだったのか。平尾派(同志社)とは距離を置いてた吉田(明治)だから、平尾が故人となり時間が経ってようやく言えるようになったのか。数年前に亡くなった時も忖度したマスコミは新しいラグビーを切り開いた偉人みたいな扱い一色だったしね。

あの当時の平尾といえば、古臭くて汗臭い根性至上主義ラグビーみたいなもんを否定してエンジョイ、創造、自由を標榜した新しいラグビーを目指すみたいな感じで(実際、同志社や神戸製鋼で活躍し実績を挙げたわけだが)いわく日本的経営の限界だのやたらグローバル化が言われ出した頃の時代の寵児みたいだったのは記憶に残る。それがどうして、日本を代表して参加したW杯で145点も取られ「ブルームフォンテーンの惨劇」とまで形容(笑いものに)される試合をまるで他人事のようなコメントに終始し、代表監督として臨んだ次の大会でも「世界に日本のラグビーを見せつける」と豪語しながら、結果3戦全敗、観客を感動させるようなトライは一つもなく「145より深刻」と評されるしかなったのだろうか。

1999年大会の直前には、合宿を張らずに監督平尾自身は「新しいビジネススタイル」の講演会(電通主催!)の講師として忙しかったという。当時の彼の言説には、さるスポーツ評論家だの文化人類学者だのの影響をもろに受けてる、というか受け売りそのままだと分析しているブログも読んだ。つまりは電通プロデュースで「哲学するラガーマン」を演じていたのか。ラグビーといったら襟を立てたシマシマジャージだったのが、この後大手スポーツブランドのピチピチユニフォームに替わっていったのもD通プロデュースの一環だろう。そもそも2019W杯招致に秩父宮ラグビー場建替え話もからんでいた訳で、さらにこの延長線上に国立競技場周辺の再開発だの何だの有象無象の世界があるわけだ。

やっぱり新国立競技場のザハ案なんかも、D通プロデュースによる・・なんだろうな。それならあの不快な「建築家諸氏へ」という「内藤怪文書」が出たというのも分かる気がする。やっぱり「金さえ、今さえ、自分さえ」

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#何でも鑑定団 #華岳

Kagaku 紳助、石坂浩二の頃から見続けている番組。ずっと前、高島野十郎を見た時書いた記事が2006年とあるから、ずいぶん経ったものだ。

今回は、この村上華岳。まったく興味は無かったのだが、依頼人エピソードからして引き込まれ、作品と作者紹介のVTRでまた感動した。作者の画業、生涯から作品制作の経緯までの半端ない情報量を短い時間で簡潔に、写真や画像まで添えてまとめる手際にいつもながら感心します。へたな解説書を1冊読むよりよっぽど理解出来る。

そしていつものナレーターさんの安定の語り口、加えてバックに流れる音楽のセンスの良さ。今回、あまりに感激したのでググりまくって「選曲」担当さんのツイッターを見つけ、ツイしてしまった。皆さんいい仕事しています。素晴らしい絵にセンスのいい裂を使った表装で仕立てられた掛け軸が素敵な床の間に飾られているようなものか。

同じく20年近く見続けていた「美の巨人たち」は「新」が付いてからすっかり見る気が失せてしまったけどね。

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07/06/2015

捨てられない雑誌・せつない気持ち

雑誌ブルータス2010年11/1号 特集「せつない気持ち」
本屋で表紙だけ見て即買いしたのを思い出す。
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最近読んだ本、宮元健次著『日本の美意識』(光文社新書 2008年)に「フランダースの犬」のオリジナルのストーリーに感動するのは現在では日本人だけ(欧米ではハッピーエンドに書き換えられている)とあったので本棚の端を探したら出てきたのがこの表紙。(ブルータスは今もあるけれど、今後こんな特集組めないだろうな。)で、久し振りにパラパラめくって見た。
セツナイ33・・よいです。特に「ウルトラセブン」がNO.10だったのか・・これはまた別に。
中でもNo.17・・1988年フランスワールドカップの代表から外された「カズ」の潤んだ瞳の顔のアップ!!ああ、そうそうそうだよ。
日本がワールドカップに行ける日が来るなんて思ってもいなかった、カズよりずいぶん上のサッカー世代にはカズの活躍には特別な思い入れがあるのですよ。だから日本代表が初めてワールドカップに出る時にカズが外されるというショックと欠落感・・悪いけどオカダだけはどんな理屈を言っても許さない。・・その後のワールドカップにどうにも熱くなれなかった(というかシラケた感じしかしない)のは昨今のFIFAの堕落構造(オリンピックも含めた商業主義の匂いぷんぷん)とこの件な訳だ。
やっぱり切なすぎる・・

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05/06/2015

モダニズム建築

Photo今は無いモダニズム建築のオマージュのために1枚載せておこう。菊竹さんのホテルパシフィック湘南。大学生の頃はもう閉鎖されていたハズで、中に入ったことも無いけれど。友人達と湘南をドライブ中、松林の先にこの建物が見えた時の感激というか何と言うか・・未来的なデザインなのにどこか懐かしい?そしてすでに寂れた廃墟の印象までごっちゃになって見えた不思議な記憶がある。


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05/05/2015

10年前の前川國男展

Maekawa
船橋西図書館のことを書いていて、2005年前川國男展とあるようにもう10年経つのか。これもまたひょんなことから「阿佐ヶ谷集合住宅」が結局取り壊されたと知り、しばらくググっていた途中、
10年前に買いそびれた展覧会の図録・・今はハードカバーの本になって6,600円也はちょっと手が出ないと思っていたところ、古書店のサイトで当時の図録3,000円が出ていたので即買い。
はっきり言って学生の頃はまったく興味が無かった・・すでに過去の巨匠だったし、同じような公共の建物ばかりの印象で、新都庁舎のコンペの時も打ち込みタイルの東京海上がツインビルになったようなプランで「昔の名前で出ていますかよ」って感じでガッカリした記憶が。
それがその後、東京たてもの園で前川自邸を見て、熊本県立美術館を見て・・まったく印象が変わってくる・・そんなエラソーなものでなく・・「今まで済みませんでした」。熊本でも埼玉でも県立美術館のプラン(配置図)ののびやかさに今更に気づく。Images1_2
図録には無かったのが残念だけど、先日買った雑誌ブルータスに載っていた石垣市市民会館・・相変わらずの打ち込みタイルの会館に見えるけれど、石垣の風土を考慮した設計で台風や厳しい気候にも耐えて築30年経っても変わらない姿でいる、長い設計活動の後に辿り着いた姿のように見えて余計に印象深い。
ひるがえって、呉服橋の銀行に蛇の目ビル、学習院のピラミッド教室は無く、阿佐ヶ谷テラスハウスも
無いのか。


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05/04/2015

船橋市立西図書館の思い出

もう40年くらい前だが高校生の頃、定期試験前で部活の無い日の帰りだったり、大学時代も試験前の日曜日に行ったり、建築士試験の学科試験前にもずいぶん通った思い出の図書館。ひょんな事からもう既に取り壊されて無いと聞いてググってみたのですが。
思い出すままに書いてみると、当時西船橋の駅裏の丘の上に建っていた小さいけれど立派な建物の図書館だった。吹き抜けのホールから狭い螺旋階段で上がる中2階が自習室で、大きい机に椅子だけでやたら天井の低い(多分2.1メートルも無かったんでは・・)屋根裏部屋みたいなコーナーがとても落ち着く空間だった。勉強の途中でふと目を上げると目線の先に(どの席に居ても)必ず窓越しに緑が見えたのを覚えている。これが設計のワザってやつかあ?と思ったかどうかはともかく。このやたら低い天井の空間体験をそのずっと後、ドイツのケルンに行ったとき通りすがりに入った「東洋美術館」のエントランスの風除室を通った時に『あれっこのスケール感ってどこかで・・」みたいに再び感じたのを思い出した。当時は「何だか煉瓦の打ち込みタイルだし、東京都美術館みたいだなあ」ってくらいに思ってたかな。
でもそれがまさに前川國男さんのケルン市立東洋美術館だったし、船橋西図書館も国立西洋美術館みたいな外壁に打ち放しコンクリートの柱など前川建築事務所の設計だろうなと考えていたので、2005年に東京ステーション美術館であった前川國男展で全作品一覧に載っていたと記憶しているのだがこの図録には載っていないしNETでも出てこない。
3.11の震災で修復不可能となるまで損傷した建物では事務所の黒歴史になってしまうのかなあ?
それでも自分にとってはこじんまりしたあの自習室の空間の居心地の良さは忘れられない。

Funabashi_nishi


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05/03/2015

船橋市立西図書館

訳あってこのタイトルでググったらトップで「図書館司書焚書事件」が出てきた。そう言えば「そんなニュースがあったかなあ」程度の記憶。当時はもう引っ越して立ち寄る事も無かったし、例の朝日新聞は黙殺して記事にしなかったんだから無理も無い。とんでもなくひどい話だし、裁判の結果くらいはうっすら覚えているが、その後の顛末(当の司書は協会を除籍になるどころか逆に役員に昇進、自分の書いた絵本やらが70冊ちかく図書館蔵書に加わったやら何やら・・今回ググって初めて知った)には今さらながら腹が立つし、「サヨク」的なるものの気色悪さをまざまざと感じる。
NETのおかげで十年スパンでも物事を振り返ると色々なものがはっきり見えるようになった。ただしこの件は詳細なまとめサイトがあったりするのでこの辺で・・

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09/14/2014

深代惇郎エッセイ集

Fukashiro
何を隠そう高校生の頃、深代惇郎の天声人語に影響されて進路希望に「ジャーナリスト」と書いていた自分です。この「エッセイ集」と「青春日記」がまだ本棚の奥にある。ナイーブな少年にはあの知性とヒューマニズムに裏打ちされた真っ直ぐな文章がまぶしかった。それが「天声人語は文章のお手本」となって「大学入試に出る天声人語」みたいなイメージに繋がって行くのだが。まあ確かに惚れ惚れするくらい美文なのは確か。ただし「インテリが読む朝日新聞」「オピニオンリーダーとしての朝日新聞」というイメージはもはや無い、というか信頼出来るジャーナリズムがあるのは朝日だけだろうなどと妄信していた自分を恥じる。KY珊瑚事件はまだ、一部の先走りがしでかした事象だろうなどと甘く擁護でいたが今回の従軍慰安婦問題と福島原発事故調記録のねつ造にはほとほと呆れた。もうすでに滅んでいたのですね。

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