07/17/2019

知らない方がいいこと、知らなければよかったこと、知ってはいけないこと

Kuushuu

 

鑑定団について書いたら、思い出した。番組中に全国出張鑑定団があるけど、全国どんな町でも古いお宝がまだまだ出てくる。もし戦時中の空襲が無かったら、今の日本にどれだけのお宝が残っていたんだろうか。つまりは空襲でどれほどのお宝が燃やされてしまったのか・・

日本のお宝を奪った犯人を2人挙げる。

まず、この日本本土空襲作戦を指揮したカーティス・ルメイ。

このNHKスペシャルの本の中では、ルメイの孫がインタビューに答えていて、「祖父は誰かがやらねばならない任務を自分が誠実に引き受けたと言っていた」とか何とかってあったが、そんなソフトな記事でまとめなくてもよかんたんじゃないか。白人至上主義的な言動が多かったというのは他の資料からもはっきりしてるんだし。ルメイに戦後、日本から勲章を与えたって、意味が分からん。いろいろ資料をあたっても不快感だけが残る。

そしてもう一人がアントニン・レーモンド。

言わずと知れた日本のモダニズム建築の父。レーモンドがこの日本本土空襲というか日本焼き払い作戦に加担していたという事実。これも、早く戦争を終わらせるために苦渋の思い云々という言い訳が流布しているようだが、そもそも亡命先アメリカのスパイだったということまで分かってしまった以上、伝記は書き換えられなければならないのではないか。日本の木造家屋密集地での火災の広がり方、如何に効率的に焼き尽くすか、焼夷弾の性能実験、戦時中の石油会社の思惑、戦後の石油メジャーとの繋がり・・・レーモンドの黒歴史を知ったのは、いつだったかな、すごいショックだったけど。

昔のことなど蒸し返さない方がいいのか、ただ「令和は本当のことがあからさまになる時代」って誰かが言ってたのは本当かもしれん。

ジャニー喜多川の訃報に際して、マスコミはこぞって日本のエンタメ界の父だなどと持ち上げて嵐だSMAPだは出るけど、我々昭和の人間はジャニーズといったらフォーリーブスだろうが、フォの字も出ない。そりゃーフォーリーブス解散後にあったジャニーの少年偏愛スキャンダル暴露のイメージが消えないもんね。そんな黒歴史はシートで覆って無かったことに・・

Kokusho

黒歴史でもうひとつ。

1995年ラグビーW杯で日本がオールブラックスに145点取られて負けた(17-145)こと。特にラグビーファンでもなければ、そんなこともあったかなという程度。だいいち25年近く前の話だ。今年のW杯日本大会を前に、前回の南アフリカ戦の大逆転勝利に続けとこちらもアゲアゲ報道一色だけど。

これも最近知ったこと。

この時の日本代表チームは無能な監督の元、メンバーはバラバラ、主力は大会期間中カジノと飲み会三昧だったという事実。はっきり書こう、当時の日本ラグビーの改革者で救世主と持ち上げられていた平尾誠二とその手下でしょう。(このラグビー黒書にはズバズバ書いてあります)今年になって、日本大会直前ということで、1995年の出場選手だった吉田義人へのインタビュー記事が挙がっていて

https://hochi.news/articles/20190527-OHT1T50244.html

1995年の反省からの長い日本ラグビーの道のりみたいな言い回しがあったので、ふと気になりググってみたらこういうことだったのか。平尾派(同志社)とは距離を置いてた吉田(明治)だから、平尾が故人となり時間が経ってようやく言えるようになったのか。数年前に亡くなった時も忖度したマスコミは新しいラグビーを切り開いた偉人みたいな扱い一色だったしね。

あの当時の平尾といえば、古臭くて汗臭い根性至上主義ラグビーみたいなもんを否定してエンジョイ、創造、自由を標榜した新しいラグビーを目指すみたいな感じで(実際、同志社や神戸製鋼で活躍し実績を挙げたわけだが)いわく日本的経営の限界だのやたらグローバル化が言われ出した頃の時代の寵児みたいだったのは記憶に残る。それがどうして、日本を代表して参加したW杯で145点も取られ「ブルームフォンテーンの惨劇」とまで形容(笑いものに)される試合をまるで他人事のようなコメントに終始し、代表監督として臨んだ次の大会でも「世界に日本のラグビーを見せつける」と豪語しながら、結果3戦全敗、観客を感動させるようなトライは一つもなく「145より深刻」と評されるしかなったのだろうか。

1999年大会の直前には、合宿を張らずに監督平尾自身は「新しいビジネススタイル」の講演会(電通主催!)の講師として忙しかったという。当時の彼の言説には、さるスポーツ評論家だの文化人類学者だのの影響をもろに受けてる、というか受け売りそのままだと分析しているブログも読んだ。つまりは電通プロデュースで「哲学するラガーマン」を演じていたのか。ラグビーといったら襟を立てたシマシマジャージだったのが、この後大手スポーツブランドのピチピチユニフォームに替わっていったのもD通プロデュースの一環だろう。そもそも2019W杯招致に秩父宮ラグビー場建替え話もからんでいた訳で、さらにこの延長線上に国立競技場周辺の再開発だの何だの有象無象の世界があるわけだ。

やっぱり新国立競技場のザハ案なんかも、D通プロデュースによる・・なんだろうな。それならあの不快な「建築家諸氏へ」という「内藤怪文書」が出たというのも分かる気がする。やっぱり「金さえ、今さえ、自分さえ」

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#何でも鑑定団 #華岳

Kagaku 紳助、石坂浩二の頃から見続けている番組。ずっと前、高島野十郎を見た時書いた記事が2006年とあるから、ずいぶん経ったものだ。

今回は、この村上華岳。まったく興味は無かったのだが、依頼人エピソードからして引き込まれ、作品と作者紹介のVTRでまた感動した。作者の画業、生涯から作品制作の経緯までの半端ない情報量を短い時間で簡潔に、写真や画像まで添えてまとめる手際にいつもながら感心します。へたな解説書を1冊読むよりよっぽど理解出来る。

そしていつものナレーターさんの安定の語り口、加えてバックに流れる音楽のセンスの良さ。今回、あまりに感激したのでググりまくって「選曲」担当さんのツイッターを見つけ、ツイしてしまった。皆さんいい仕事しています。素晴らしい絵にセンスのいい裂を使った表装で仕立てられた掛け軸が素敵な床の間に飾られているようなものか。

同じく20年近く見続けていた「美の巨人たち」は「新」が付いてからすっかり見る気が失せてしまったけどね。

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12/30/2015

光の帝国

Img_3750
ある日の夕暮れ時に見つけた風景、なんちゃって「光の帝国」
もちろんマグリットの「光の帝国」のオマージュ(W)
実はたくさんのバージョンがあり、昼の風景に夜の空という「光の帝国・裏」バージョンまであるという本当はちょっと怖い絵。手前の水に映る光の描写が印象深い1954年バージョン。
Hikarinoteikoku


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07/23/2015

デザイン決めただけ

個人的に細々と問題視していた新国立競技場問題は急転直下、白紙化となりました。
以前のコメントで何故か安藤忠雄氏だけ呼び捨て扱いだったことの言い訳を書いておこう。
もはや記憶もあいまいなのですが、確かまだ大学生だった頃の話。
当時(1980年くらい)バイトしていた設計事務所で付き合いのあった石屋の職人さんの頼みで
突貫工事(夜間作業)の手元(お手伝い)に行った東京は京橋の高速道路の高架の下にあったアパレルショップの内装工事の現場。確かデザイナーズブランドブームなどというものが本格的化するちょっと前、「ミカレディ」だったと思う。
見せられた図面には確かに「安藤忠雄建築設計事務所」のタイトルが。(ただし図面といっても
平面を簡単に書いた俗に言う「マンガ」図面)
当時は既に例の「住吉の長屋」や「打ちっ放し」のコシノ邸やらで有名だったし、まさにその時、日経アーキテクチャーで「安藤さんが開発したテラゾーブロック」という記事を読んだばかり。
Photo_3
そのテラゾーブロックを使って陳列棚の衝立て壁をフロアーにランダムに作るというものでした。
「おお、あの実物にすぐに出会えるとは・・」
テラゾーブロック・・よく住宅の塀にあったような無粋なコンクリートブロックの表面をツルッとした石目模様にコーティングしたものと思ってもらえれば確か・・を正確に積んで中にコンクリートを流し込めば石目模様の壁がすぐ出来る・・というのが能書きだった。目論み通りにいけば魅力的な商品なのですが、それにはブロック1個1個がレゴ並みの精度で出来てなければ無理なのは素人でも解る。
はたして現場は・・「目地」はとらずに積むことという指示通りにしてみれば・・3段積んだらもう垂直水平にはならない、はっきり言って1個1個の大きさがマチマチという、親方言うに「こりゃ使えねえ」シロモノ。当時の現場の記憶も定かではないのですが、仕方ないからバリを取り、1個1個微妙に削っては調整して徹夜作業で納めたはず。
仕事が終わって早朝の銀座通りを歩きながら、確かに文句はブロックの製造メーカーに言えばいいことだけれど(「建築家」の仕事はアイデア出しただけ・・それを使った現場がどうなってるのかまで関知しない?そんなもんなのかあ!安藤さん!)と思った。
それが30数年経って、また同じ人に同じ思いをするとは思わなかったですね。
「コンペでデザインを決めただけやから・・」あ〜あ

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07/17/2015

夕焼け雲を見上げる

夕方の雲があまりにもきれいで不思議な景色だったので思わず携帯で撮った一枚。

Kumo

たくさんの渦巻くピンク色の雲
映画のSFXのようでもあり、噂の地震雲などでなければいいのだが
何やら胸騒ぎがするような空と雲だった。

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07/06/2015

捨てられない雑誌・せつない気持ち

雑誌ブルータス2010年11/1号 特集「せつない気持ち」
本屋で表紙だけ見て即買いしたのを思い出す。
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最近読んだ本、宮元健次著『日本の美意識』(光文社新書 2008年)に「フランダースの犬」のオリジナルのストーリーに感動するのは現在では日本人だけ(欧米ではハッピーエンドに書き換えられている)とあったので本棚の端を探したら出てきたのがこの表紙。(ブルータスは今もあるけれど、今後こんな特集組めないだろうな。)で、久し振りにパラパラめくって見た。
セツナイ33・・よいです。特に「ウルトラセブン」がNO.10だったのか・・これはまた別に。
中でもNo.17・・1988年フランスワールドカップの代表から外された「カズ」の潤んだ瞳の顔のアップ!!ああ、そうそうそうだよ。
日本がワールドカップに行ける日が来るなんて思ってもいなかった、カズよりずいぶん上のサッカー世代にはカズの活躍には特別な思い入れがあるのですよ。だから日本代表が初めてワールドカップに出る時にカズが外されるというショックと欠落感・・悪いけどオカダだけはどんな理屈を言っても許さない。・・その後のワールドカップにどうにも熱くなれなかった(というかシラケた感じしかしない)のは昨今のFIFAの堕落構造(オリンピックも含めた商業主義の匂いぷんぷん)とこの件な訳だ。
やっぱり切なすぎる・・

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07/05/2015

郊外の夢と現実

1999年の新書を最近読んだ。三浦展著「家族」と「幸福」の戦後史〜郊外の夢と現実Dscn0244日本のマイホーム神話を1939年ニューヨーク万博以降のアメリカ社会から考察するという第1章、第2章からぐいぐい引き込まれます。住宅ローンは資本主義を強力に押し進めるためにアメリカが発明したものだというのは、隈研吾さんの「建築的欲望の終焉」(1994)で読んだ記憶があるが、「アメリカンウェイオブライフ」の実現、もっとはっきり言えば「誰でも自分の家と土地を持てば、共産主義者にはならない」というというスローガンのもと東西冷戦下の世界状況の中で、まずアメリカ中に広まり、約30年かけて日本がそれを追いかけてきた、など目から鱗の事実。著者の筆致も今と比べると若さに溢れた感じがする、というか最近の著書の大元のネタがここにある。後半の現在(99年当時)から近い将来を見通した章も今読んでもおもしろかった。話は逸れるけど、講談社現代新書の黄色っぽい表紙の初版を古本で購入したのだけれど、昔は新書といえど表紙カバーまでちゃんとイラストを添えてデザインしていたんだよなあ。最近の白地に文字だけフォントで組みました・・的節約デザイン(もはやデザインでもないか)の表紙の味気なさと比べると隔世の感。
Sengoshi

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06/05/2015

新国立競技場問題〜丹下〜前川〜白井〜槙

Maekawa
個人的に2年前に丹下さんを追っかけ始めて、去年から新国立競技場に関心が行き、今年は前川さんが年間テーマというすっかりモダニズムを辿る旅に出ています。
(先の船橋市立西図書館について、先日読んだ「賊軍の将 前川國男」の中に「公共建築作品一覧表」があり「船橋市 1」とあったのでこれで裏付け取れたと個人的に納得。そういえば、図書館の外壁は上野の文化会館のホールの壁とそっくりだった。ただし「建築展図録」のリストに載ってなかったのは単なる「漏れ」か。2005年の建築展に震災は無関係だった、先日のうがったコメントお詫びします。)
で、前川さん繋がりで「白井晟一」さんが出てくる。
告白すればこちらは前川さんと逆で、学生時代にはどっぷり浸かって長崎・佐世保まで白井建築巡礼の旅までしたほど、あの特異な建築世界にはまった・・それが実務についた後はその独特な匂いがすっかりダメになり(構造とは全く無関係な内外の表現・・つまりは書き割り建築じゃねえか、哲学的といわれる難解な文章・・わかったふりして読んではみても、結局理解出来なかった)。
それが白井さん死去の際の前川さんの追悼文を読んで、いったいこの二人にどんな共鳴出来る部分があったのだろうか?疑問だった。今回「賊軍の将」を読んで二人の友情というか互いに共通する精神の一端が解った気がした。
その一端をずばり言い当てているのが先の「前川國男 建築展」図録にある槙文彦さんの文章(「前川國男と現在」から引用原文ママです)

「今日、我々の都市に繰り広げられる絶え間なきスクラップエンドビルド、不動産のトラスト化、ディヴェロッパーとCMが主役を演じる世界、そして建築家という職能の限りなき矮小化と拡散化、これらはすべて前川が彼の建築愛によって目指した、あり得べき建築の地平の対極にあることを示している。」

・・コマーシャリズムやら政治から独立して立つ二人が互いを同志と思ったという理解でいいのかな。「日本の闇を見据える同行者はもはやいない。」という追悼文の最後が沁みます。
そしてこれはまさに今の新国立競技場の迷走状況そのままじゃないか・・
「このことを今、我々はかみしめるべき」と書いた槙さんがそれこそ今回は「もうだまっていられない」として国立競技場問題の最前線で物言っておられるのでしょう。
ああやっぱりはずかしい、どうにも我慢出来ない今の国立競技場建て替えの状況・・

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05/06/2015

モダニズム建築

Photo今は無いモダニズム建築のオマージュのために1枚載せておこう。菊竹さんのホテルパシフィック湘南。大学生の頃はもう閉鎖されていたハズで、中に入ったことも無いけれど。友人達と湘南をドライブ中、松林の先にこの建物が見えた時の感激というか何と言うか・・未来的なデザインなのにどこか懐かしい?そしてすでに寂れた廃墟の印象までごっちゃになって見えた不思議な記憶がある。


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05/05/2015

10年前の前川國男展

Maekawa
船橋西図書館のことを書いていて、2005年前川國男展とあるようにもう10年経つのか。これもまたひょんなことから「阿佐ヶ谷集合住宅」が結局取り壊されたと知り、しばらくググっていた途中、
10年前に買いそびれた展覧会の図録・・今はハードカバーの本になって6,600円也はちょっと手が出ないと思っていたところ、古書店のサイトで当時の図録3,000円が出ていたので即買い。
はっきり言って学生の頃はまったく興味が無かった・・すでに過去の巨匠だったし、同じような公共の建物ばかりの印象で、新都庁舎のコンペの時も打ち込みタイルの東京海上がツインビルになったようなプランで「昔の名前で出ていますかよ」って感じでガッカリした記憶が。
それがその後、東京たてもの園で前川自邸を見て、熊本県立美術館を見て・・まったく印象が変わってくる・・そんなエラソーなものでなく・・「今まで済みませんでした」。熊本でも埼玉でも県立美術館のプラン(配置図)ののびやかさに今更に気づく。Images1_2
図録には無かったのが残念だけど、先日買った雑誌ブルータスに載っていた石垣市市民会館・・相変わらずの打ち込みタイルの会館に見えるけれど、石垣の風土を考慮した設計で台風や厳しい気候にも耐えて築30年経っても変わらない姿でいる、長い設計活動の後に辿り着いた姿のように見えて余計に印象深い。
ひるがえって、呉服橋の銀行に蛇の目ビル、学習院のピラミッド教室は無く、阿佐ヶ谷テラスハウスも
無いのか。


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05/04/2015

船橋市立西図書館の思い出

もう40年くらい前だが高校生の頃、定期試験前で部活の無い日の帰りだったり、大学時代も試験前の日曜日に行ったり、建築士試験の学科試験前にもずいぶん通った思い出の図書館。ひょんな事からもう既に取り壊されて無いと聞いてググってみたのですが。
思い出すままに書いてみると、当時西船橋の駅裏の丘の上に建っていた小さいけれど立派な建物の図書館だった。吹き抜けのホールから狭い螺旋階段で上がる中2階が自習室で、大きい机に椅子だけでやたら天井の低い(多分2.1メートルも無かったんでは・・)屋根裏部屋みたいなコーナーがとても落ち着く空間だった。勉強の途中でふと目を上げると目線の先に(どの席に居ても)必ず窓越しに緑が見えたのを覚えている。これが設計のワザってやつかあ?と思ったかどうかはともかく。このやたら低い天井の空間体験をそのずっと後、ドイツのケルンに行ったとき通りすがりに入った「東洋美術館」のエントランスの風除室を通った時に『あれっこのスケール感ってどこかで・・」みたいに再び感じたのを思い出した。当時は「何だか煉瓦の打ち込みタイルだし、東京都美術館みたいだなあ」ってくらいに思ってたかな。
でもそれがまさに前川國男さんのケルン市立東洋美術館だったし、船橋西図書館も国立西洋美術館みたいな外壁に打ち放しコンクリートの柱など前川建築事務所の設計だろうなと考えていたので、2005年に東京ステーション美術館であった前川國男展で全作品一覧に載っていたと記憶しているのだがこの図録には載っていないしNETでも出てこない。
3.11の震災で修復不可能となるまで損傷した建物では事務所の黒歴史になってしまうのかなあ?
それでも自分にとってはこじんまりしたあの自習室の空間の居心地の良さは忘れられない。

Funabashi_nishi


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05/03/2015

船橋市立西図書館

訳あってこのタイトルでググったらトップで「図書館司書焚書事件」が出てきた。そう言えば「そんなニュースがあったかなあ」程度の記憶。当時はもう引っ越して立ち寄る事も無かったし、例の朝日新聞は黙殺して記事にしなかったんだから無理も無い。とんでもなくひどい話だし、裁判の結果くらいはうっすら覚えているが、その後の顛末(当の司書は協会を除籍になるどころか逆に役員に昇進、自分の書いた絵本やらが70冊ちかく図書館蔵書に加わったやら何やら・・今回ググって初めて知った)には今さらながら腹が立つし、「サヨク」的なるものの気色悪さをまざまざと感じる。
NETのおかげで十年スパンでも物事を振り返ると色々なものがはっきり見えるようになった。ただしこの件は詳細なまとめサイトがあったりするのでこの辺で・・

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10/17/2014

お弁当の時間

51yr89nunelずっと前、毎月のようにANAの飛行機(国内線です)に乗っていた頃、楽しみにしていた機内誌(翼の王国)の連載が本になっていた。男女も年齢も関わりなくいろんな仕事(学生さんも)の人達のお弁当を覗いてその人の生活を知るというもの。読み物としてもちろん面白かったのですが、今見たら、この表紙って(草むら、遠くの糸杉、タンガリーのシャツに帽子)先に書いた(2013年の「遠雷」)ワイエスの「遠雷」の絵の中の人が起き上がったんじゃないかっていうくらいびっくりした。


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09/14/2014

深代惇郎エッセイ集

Fukashiro
何を隠そう高校生の頃、深代惇郎の天声人語に影響されて進路希望に「ジャーナリスト」と書いていた自分です。この「エッセイ集」と「青春日記」がまだ本棚の奥にある。ナイーブな少年にはあの知性とヒューマニズムに裏打ちされた真っ直ぐな文章がまぶしかった。それが「天声人語は文章のお手本」となって「大学入試に出る天声人語」みたいなイメージに繋がって行くのだが。まあ確かに惚れ惚れするくらい美文なのは確か。ただし「インテリが読む朝日新聞」「オピニオンリーダーとしての朝日新聞」というイメージはもはや無い、というか信頼出来るジャーナリズムがあるのは朝日だけだろうなどと妄信していた自分を恥じる。KY珊瑚事件はまだ、一部の先走りがしでかした事象だろうなどと甘く擁護でいたが今回の従軍慰安婦問題と福島原発事故調記録のねつ造にはほとほと呆れた。もうすでに滅んでいたのですね。

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09/07/2014

ヴァロットンのボールあるいは風船

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昨日の「美の巨人たち」でも取り上げられていたヴァロットン。去年のカイユボットに続いてオルセーでの再評価があるのかな。そこでこの「ボール」だけど、もう25年以上前にオルセー美術館で見た時の記憶では少女の追いかける物は「赤い風船」だったはず・・で、本棚の奥にあった当時の美術館の日本語公式ガイドを見ると、やはり題名「風船」となっている。ボール?の下に影があるし、その後の研究解釈で変わったのだろうが、個人的には「夏の昼下がり、遊んでいる少女が赤い風船(当然ガス風船などではない)を捕まえようとしたその瞬間、風に飛ばされてしまった。(あるいはもうすぐ手が届くのに飛んで行ってしまう予感)そんな意地悪な風の視覚化が背後の禍々しい影。そんなこと少しも気付いていない遠景の女性2人。」みたいなイメージは変わらない。
モネだのスーラだのは何となく知ったかぶりで見ていたけれど、カイユボットの「床に鉋をかける人々」とこの画はオルセーの中で強烈に記憶に残っている。

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